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一時帰国(その1:日本到着) [ライフ]

 讀賣テレビの番組として放送された「海の向こうの大切な方へ グッと!地球便」という番組をご覧頂いた方は、よくご存知だと思いますが、 私がアルゼンチンに移住した2006年、その年の11月に、父は心筋梗塞で、救急車で病院に搬送され、それから2ヶ月以上意識不明のまま集中治療室で治療を受けました。奇跡的に意識を取り戻し、半年間の入院生活を経て自宅に戻ることができましたが、この時、既に父の心臓の3分の2が壊死して機能しなくなっていたそうです。でも、残りの3分の1で、今年まで人生を楽しむことができたのですが、とうとう力尽きてしまいました。そして、残念ながらお通夜や告別式にも参列できなかった私は、妻と大きくなった息子を連れて、5月18日にエセイサ国際空港から日本に向かいました。

 今回は、経済的にとても苦しい中での帰国なので、チケットが一番安いエアーカナダを利用しました。空港のチェックインカウンターで搭乗手続きを終えて出てくると、ちょうどこれからチェックインしようとしているKenちゃんに会いました。偶然にも彼と同じ飛行機だったのです。帰国の日程を決めてすぐに、新型インフルエンザのニュースが、巷を賑わせ、私たちもマスク持参での旅でした。エセイサの空港では、職員がすべてマスク着用で、そのぴりぴりとした警戒の空気が伝わってきました。

 ブエノスアイレスを出発して2時間後、最初の経由地、チリのサンチアゴに着陸しました。そこでは、乗り継ぎようのチケットをもらっていたので、一度機内から出なくてはならないものと思い出口から出ると、いきなり健康チェックをする部屋に隔離されました。そこで、問診票に記入してサーモグラフィーによる検査を受けるようでした。しかし、全員にしては、その部屋に居る人数が少なく、不審に思い飛行機に戻ろうとすると、検査官から「一度入室したら、検査が終わるまで出られません。」と言われてしまい、問診票の記入を始めました。私たちは、字がまだ書けない者が約1名居るため、3人分の問診票を2人で書かなければならず、しかもスペイン語ということで、記入に時間がかかっていました。すると他の人は、みんなさっさと検査を終えて出て行ってしまい。その部屋には、私たち(Kenちゃんも待っていてくれました)だけになってしまいました。すると「何かお手伝いしましょうか?」と検査官が声をかけてくれましたが、ひたすら問診票の記入に専念しました。何とか無事に検査を終えて、出発ゲートにたどり着き、再度同じ飛行機に乗ると、なんだか他の乗客は、とてもくつろいでいました。もしかすると、「降りなくてよかったのかも・・・」。

 それから10時間後カナダのトロントに着陸しました。今度は、別の飛行機に乗り継ぐので、「Connection」の標識を頼りに行くと、乗り継ぎカウンターのところで、「あなたたちは乗り継ぎまでに時間があるから、一度到着ロビーに出てください。」と言われました。確かに次の飛行機まで約6時間あったので、到着ロビーに出ることにしました。当然のことながら、到着ロビーに出るということは、カナダの入国審査を受けるということで、入国審査カウンターに行きました。自分たちの番が来て、パスポートと入国申請カードを出して待っていると、入国管理官が、マスクをしていた私に「君はなぜマスクをしてるの?」と質問してきました。私は、すぐに「新型インフルエンザが怖いからです。」と答えたら、「では、なぜ息子さんはしていないの?」と聞き返され、返答に困ってしまいました。確かに、息子はその前にマスクを汚してしまい、していませんでした。そして、周りを見ると誰もマスクをしていませんでした。そこで、私はマスクを取って「これでいい?」と言うと、うなずいて通してくれました。
 しかし、カナダは、世界で2番目に多い感染者を出している国で、空港職員含め誰一人マスクをしていない状況に私は、驚きました。WHOのリーダーシップのもと、世界的に足並みを揃えて新型インフルエンザへの対応をしているものだと思っていた私は、肩透かしをくらったようでした。再度、出発ロビーに行くと軽い食事を取って次の飛行機を待ちました。
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(トロント空港での待ち時間)

 睡眠を少し取ったころ、出発3時間前になり、出国審査に向かおうと手荷物検査の入り口に行ってみましたが、閉まっていました。私たちが乗る飛行機のゲート番号は177番で、160番くらいまでの入り口は、既に開いていました。しかし、170~180番用の入り口が開いていないのです。そこで、160番までの入り口に行って係員に尋ねると「東京に行くの?その前にバンクーバーに止まるよ」と言い、ここから入れと指示されました。でも、確かバンクーバーには、寄らないはずと思い、入り口の中の職員に再度確認すると「ここは国内線専用だから、もう一つの入り口に行って」と言われました。そして、もう一つの入り口に行くと、閉まっているのです。このやり取りを2回繰り返した後、ようやく閉まっている入り口には、反対側にもう一つ入り口があることが分かり、何とか177番ゲートにたどり着くことが出来ました。ようやく日本行きの飛行機に乗り、安心して眠りにつきました。
 それから、しばらくして、多分1時間は経っていたと思います。目を覚ましてみると、まだ、飛行機は飛び立っていないのです。どうしたものかとアナウンスに耳を傾けていると、機体整備で異常が発見されて、調整中ということだった。まあ、いろいろありますが、飛び立つ前でよかったと思い、また、うとうととしていたら、ゴ~っというエンジン音と共に、飛び立ちました。成田への到着は、1時間ちょっと遅れました。

 飛行機が成田空港の到着ゲートに着くと、防護服に身を包んだ検疫官が、機内に入ってきました。予め記入しておいた問診票(今度は日本語だったので問題なかったです)を回収しながら、私たちのところで止まりました。実は、息子の礼は、2週間前から風邪を引いていて、鼻水をたらしていました。そして、その風邪をもらい私も、1週間前から鼻水がひどかったのです。嘘を記入してもいけないと思い、そのことを問診票に記入したため、そこから私たちへの質問が、始まりました。
 その中で、面白かったのが、「いつ日本を出発されましたか?」という質問が来たときです。私が「3年前です。」と答えると、検疫官は、ちょっととまどった様子で、「アルゼンチンにお住まいなんですか?」と聞き返してきたことです。多分、短期の旅行の帰りという想定で質問されたのだと思いますが、3年前と聞いて、一瞬イメージが湧かなかったようです。こんなやりとりの後、機内から携帯で課長さんに問い合わせ、許可が降りて入国できました。結局、機内で私たちの検疫検査が一番最後だったようです。

 成田からのエアポートリムジンでは、窓から見える3年ぶりの日本の風景になんだか懐かしさを感じました。
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コメント 2

masato

地球の反対側からの帰国は、トラブルの可能性満載ですね。
3年前の出国と聞いて、質問の標準マニュアルでは対応できなかったのでは?

次の楽しみにしています
by masato (2009-06-16 02:10) 

tangofun

そうですね!何せ32時間かかりましたから。
何があるかわかりません。
なるべく早いうちに「その2」作成します!
by tangofun (2009-06-16 02:17) 

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